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知らないことを調べるブログ

映画の分からないところを調べてまとめる場所にしていきます。

わざわざもっともらしい”前に進むための理由”はもう必要ないんじゃないか

 ほぼ日とtechnophobiaから。

今日のダーリン2013/08/20(Tue)

もともと誰が言ったことばなのかは知りませんが、
「雨が降ったら傘をさすんです」って、
たしか松下幸之助さんの講演録かなんかで知りました。
そうかぁ、すっごいなぁと思いました。

異常気象についてしゃべり出すのでもなく、
天気予報の当たり外れを語りだすのでもなく、
いつごろ止むんだろうと話し合うのでもなく、
雨を研究しはじめたり雨の本を書くのでもなく、
「傘をさして、どこへでも出かける」んですよね。

つい、人って、雨にとらわれちゃうんですよね。
雨そのものを見たり考えたりしちゃうんです。
でも、雨だろうが、風だろうが、雪だろうが、
やらなきゃならないことがあるなら、やりたいことがあるなら、それをしなきゃならないし、するべきでしょう。
だったら、「傘をさすんです」よね。

[「ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次」]

そういえばシンガポールに来て既に3年経った。東京に住んでいた期間は4年と少しなので、もう一年くらい経てばシンガポール滞在の方が長くなる。

3年も滞在して勉強したり働いていたりすると、「なんとなく海外に住みたい欲」みたいなのは大体満たされる。なんでもかんでも「英語の勉強になるから」とかいうくだらない考え方ももうない。「世界を見てまわって視野を広げる」とか、正直心底しょうもないなあと思うようになる。自分にとって必要なプロセスだったのかもしれないけれども、今ならそんな肩肘を張ることはないと言える。理由なんて面白そうだからとか、やってみたいからとか、その程度で十分だ。

変なコンプレックスとか変な義務感から解放されて、自分が楽しいと思える方向に進む。そんなふうに今思う。

[「バナナの木 - technophobia」]


 僕は高校を卒業してニュージーランドへ行った。

 つらかった。ワーキングホリデーの仲介業者を通じて知り合った同世代の友人たちがホームシックになっていくのを見ていると、”自分がホームシックにまだなっていないのは鈍感なだけなのか”と不安になった。

 滞在中とにかく、コミュニケーションにおける抵抗を強く感じていた。アジア人や欧米系が漠然と怖いのだ。どうしても日本人どうしでつるんでしまう。この状況を変えたかった。そのために必要なのは英語力の初期値ではなくて、会話をためらわないことなのだと頭ではわかっていたが、それでも怖くてあと一歩を踏み出せずにいた。

 半年ほど過ぎたところで日本から身内の不幸を知り、それを口実に、僕はけっきょく一年の予定期間を中断して帰国した。

 半年間の短いあいだに挫折といくつかの成功体験があったが、まだうまく消化できていない。

 旅立つ前に「英語を覚えるため」とか「武者修行にいく」とか動機づけをいろいろ考えたが、あれは今思うと自己暗示に近かった。自身を鼓舞するためと、それから周囲の人たちを説得するためにやっていたのだと思う。


 今の仕事に就いて6年くらい経つ。それなりに楽しく、かつ貧しい。僕は学問に対して漠然としたあこがれを持っていて、何年か前から大学受験のための勉強を始めている。自分の知識と理解力のなさにがっかりしているが、少しずつ頭がさえていくのが心地よい。ただ、心地よいペースで進めていていいのか、学問をなめているんじゃないか、年齢を考えろ、甘く考えているんじゃないか、そもそも向いていないんじゃないかと自分を責めている。なんか山月記の李朝になった気分で罪悪感が晴れない。

 で、罪悪感を消して前に進むための自己暗示――と、ここで気付く。あれっ、繰り返している。

 20代なかばになると周りを説得する必要はもうない。死なない限り何をしても自由な身分になっている。それなら、わざわざもっともらしい”前に進むための理由”はもう必要ないんじゃないか。

理由なんて面白そうだからとか、やってみたいからとか、その程度で十分だ。

雨そのものを見たり考えたりしちゃうんです。

「雨が降ったら傘をさすんです」


 あっ!、という感じ。いろいろ晴れた。何が晴れたのか考える必要もないと思う。自責の念なんてぜんぶ強弁だ。無視していい。前に進む。

「読書」大学でいかに学ぶか - 知らないことを調べるブログ