知らないことを調べるブログ

映画の分からないところを調べてまとめる場所にしていきます。

自分の心のうちを聴いてくれる人イコール理解者、は嘘だということがわかる映画「マリリン・モンロー最後の告白」

 最近観た映画。そのうち、問題だなーと思う映画が三つあった。

ミスト(2007)
くまのプーさん(2011)
マリリン・モンロー最後の告白(2008)
ゼロフィリア(2006)
パルプ・フィクション(1994)
戦艦ポチョムキン(1925)
アキレスと亀(2008)
ハンサム★スーツ(2008)
夕陽のガンマン(1965)

 他人をいたわることができないキャラクター達の萌えアニメくまのプーさん」では、1977年版よりも書き文字を使うギミックが進化していて面白かった。ただ、やっぱり1977年版のほうが好きなのは、1977年版のラストシークエンスで子供時代からの決別が描かれることで「なんでもない日おめでとう」が心に残るところ。2011年版では「プーのおばかさん」だけがテーマになっていて、見終わったとき何も心に残らなかった。

 自分の心のうちを聴いてくれる人イコール理解者、は嘘だということがわかる映画「マリリン・モンロー最後の告白」は、その点に気付けたことはとてもラッキーだった。観て良かった。マリリン・モンローが心を病んでいった最大の原因は医師の診療にあると思う。心の内面を深く暴いていくことでマリリンの成長をストップさせ、ついには心の傷を癒やす自浄作用まで停止させてしまった。これは理解者とは言えないよ。他人の話を傾聴することで、もしかしたらその人を破壊してしまうかもしれない。とても怖くて面白かった。ただ、映画としてのつくりは退屈で、その原因は陳腐なナレーション。
f:id:Hokanoko:20140210073436p:plain
「マリリンはチェス盤の上で虚しく踊るクイーンだったのだ。医師のラルフは黒のナイト、あるいは白のナイトか――」だとか、気取った語りが延々と続くのだ。とても耳障り。フランス映画への警戒度が高まった。

 日本版愛しのローズマリーハンサム★スーツ」は思いのほか好み。醜女の姿で姫が王子を試すというのは物語の原型として美しいし、僕はそれで良いと思うのだけれど、「結局見た目じゃん」という居心地の悪さがちょっと残る。だから、ブスーツを脱ごうとした彼女が脱げなくなるという展開だったらもっと好みだった。北川景子森三中大島の姿で固定されてしまう。塚地がそれを受け入れる決意をすると、それを観た僕は、「この二人には本当に幸せになってほしいな」と感動できていたんじゃないかと思う。


 あと、評論家に振り回されてひどいことになっていくタケちゃんが最終的に筆を置く「アキレスと亀」はラストシーンがすげーー!!と思った。捨てた20万円の空き缶がころころとタケちゃんのところに戻ってきてしまって、それに気付いた樋口可南子が空き缶を蹴飛ばす、というのを背中から撮影したワンカットのシーン。
f:id:Hokanoko:20140210073136p:plain
 これはとても象徴的で、「実は芸術を捨てたいのだけれど呪いのように芸術から逃れられないタケちゃんが、理解者である樋口可南子の協力を得ることで呪いが解ける」という映画のシナリオが一発でわかるようになっている。樋口可南子のこれ、アドリブなのかな? 評論家の煽りからタケちゃんが抜け出すラストという意味では、「アウトレイジビヨンド」とも共通していると思う。