知らないことを調べるブログ

映画の分からないところを調べてまとめる場所にしていきます。

影響力の強いサイコパスの女が人々を破滅に追いやっていく映画「白と黒のナイフ」

 最近観た映画。

ボウリング・フォー・コロンバイン(2002)
眠狂四郎殺法帖(1963)
紀元前1万年(2008)
キャットフィッシュ(2010)
白と黒のナイフ(1985)
ハワイ・マレー沖海戦(1942)
ウェブ・ジャンキー(抜粋)(2014)

 影響力の強いサイコパスの女が人々を破滅に追いやっていく映画「白と黒のナイフ」が良かった。冤罪ものの法廷サスペンス。主人公は妻殺しの事件を担当する女性弁護士なのだが、実は彼女は狂人で自制心が欠けている。

 彼女は身の回りの環境を思い通りの方向へ、恣意的に誘導していく。映画を見ていると段々とムカムカしてくる。彼女は圧倒的に強いのだ。人を陥れることに抵抗がない。赤子の手をひねるように人々の心理を操ってしまう。難なく無罪判決を勝ち取った彼女は被告人に対しこう言い捨てる。「あなたが真犯人かどうかはどうでもいいの。裁判ってそういうものだから」

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 この映画は観客に主人公への共感を許さない。弁護士の彼女は、審理日程のあいだに判事の家を訪ねる。判事は公平性の妨げになるとして会話を断ろうとするが、彼女は家に入り込んでしまう。ほかにも、被告人の男性と関係を持ったり、怪しい男に罪を着せるなど、見ていて「それはやっちゃだめでしょ」という線を次々と越えていってしまうのだ。検事が彼女にこう叫ぶシーンがある。「お前が弁護しているあの男は、人を殺めることに何の抵抗もない冷血漢で、用意周到なサイコパスなんだ!」これは彼女に対する言葉だ。

 そして最も強烈なのはラストシーンだ。彼女の家に真犯人が忍び込む。ナイフを持って彼女に襲いかかろうとした真犯人を、拳銃で彼女が撃退する。顔を覆うマスクを剥ぐと、真犯人は彼女の弁護により無罪判決を得た被告人当人であったことが判明する。愕然とする彼女を慰めるために、友人の男がこう話す。「忘れたほうがいい」そして男は彼女の肩に手を回す。


 価値観が揺さぶられた後にからっとそのことを忘れようとする滑稽さといえば、テレビショーの主人公として、生まれた時から箱庭の中で飼われてきたことを知ってしまった男が、その枠組の外へ抜け出すまでを描いたジム=キャリー主演の映画「トゥルーマン・ショー」を思い出す。この映画もラストが衝撃的。箱庭の外へ出て行ったジム=キャリーをテレビで観た労働者二人が、ひと通り感動したあと、「で、次なに見る?」つまり、彼らにとってこの番組は消費物のひとつでしかなかったのだ。彼らの中にはもちろん、この映画を観ている僕自身も含まれる。

 「白と黒のナイフ」のラストで、主人公は一つの問いを得る。「私がしてきたことは間違いだったのか?」という問いだ。しかし彼女は見て見ぬ振りを決め込む。それは彼女がサイコパスだから――ではなく、普通の人間だからだ。

 この映画を観て、僕は困った。もしも彼女と同じ立場になったとき、僕は自らの過ちを認められるだろうか?

 怖い映画だった。