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知らないことを調べるブログ

映画の分からないところを調べてまとめる場所にしていきます。

孤独だったヒットガールが友達を見つけて嬉しい「キック・アス/ジャスティス・フォーエバー」

※2014/03/22に追記

 腹がよじれるくらい笑った。大好き。嬉しかったのが、戦闘中のヒットガールが前作同様に頭をこちらへ向けるショットがあったこと。この笑顔に僕は全部もっていかれたのだった。上の画像が前作、下が今作。

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 怪物型の悪役・マザーロシアのテーマソングがテトリスのアレンジ曲なのも良い。ロシアだからテトリスという発想がとても単純で素晴らしいと思う。めちゃ笑った。唇をめくり上げて楽しそうに殺戮するところがヒットガールに似ている。このシリーズは倫理的にどうかしているのが心地よい。

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 それと、芝刈り機でグチャグチャに殺されるときに、きちんと白目を剥こうとしているのがとても良い。

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 ところで、戦闘中にヒットガールがこちらを向くのが共通しているわけだけれど、実は意味合いが少し違っている。今作の「キック・アス/ジャスティス・フォーエバー」だと攻撃目標を見る動作だが、前作の「キックアス」では、ヒットガールの視線はキックアスに向いていた。孤独だったヒットガールが友達を見つけて嬉しいということだ。

 今作では、ヒットガールが学校での友人関係を通して、一人の女性としての自己同一性を確立していく。観ていて複雑な気持ちになる。いわゆる親の視点だ。それだけ僕が舞台設定にのめり込んでいたのだと思う。でも、前作から共通している「ヒットガールが他人と触れ合って成長する」というテーマがこのシリーズにはある。このテーマがきちんと回収されたからこそ、ラストシーンのヒットガールがバイクで疾走していく姿が清々しく思えるのだろうな。


追記:(2014/03/21)

 「芝刈り機でグチャグチャに殺される」というシーンに見覚えがある。「芝刈り機 スプラッタ 映画」で検索すると、2002年のコメディ映画「殺戮職人芝刈男」というのが出てきた。たぶん違うと思うのだけれど・・・面白そうなので今度観る。


追記2:(2014/03/22)

 キックアス2についての素晴らしい評論を発見。「外部リンク:それでも俺は叫ぶ『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』 - 仮想指定

 なるべく文脈を壊さないように引用する。

「本当の自分とは? 現実を生きるとは?」と問われるのだ。
ところが答えを出す前に暴力が襲いかかってくるので考えている暇がない。というか答えは暴力だ。
まともに現実を生きようとしても暴力が襲ってくるので、いま、持ち得る手段だけで対応しなくてはならない。
しかし『ジャスエバ』のキャラ達はこれまで暴力の世界で生きてきた。
それ以外のまともな手段にあまり精通していない。だからアンサーは暴力。
『ジャスエバ』は100分あるが全編暴力シーンである。どのキャラも暴力以外に世界を生きていく手段を知らないからだ。
(中略)
全編を覆い尽くす暴力に辟易した方も確実におられる筈である。暴力を賛美するのは間違っている。
『ジャスエバ』で重要な役を演じたジム・キャリーは「この映画の暴力は酷過ぎるので宣伝については擁護できない」とツイート。それに対しヒット・ガール役のクロエが反論したというが、つまりこの映画はそういう事なのだと思う。
ジム・キャリーはこの映画の暴力に辟易した。しかしクロエはこの映画の暴力とその周囲をとりまくものになにかを見出し、共感したのだ。『キック・アス』でヒット・ガールはこう言う。「シルバー・エイジの時代は終わった」
かといってジム・キャリーは駄目かというとそうではなく、彼も根本的にはそういう人間なので(キャリーが元来喜劇俳優という点も大いに貢献しているのではないか。『トゥルーマン・ショー』は笑いの中に巧妙に一人の人間の生き方を隠していた)撮影はノリノリでアドリブもかましたそうである。キャリーは行き過ぎた暴力を擁護出来ないと言っただけで映画を否定していない。
(中略)
クロエが前作同様魅力的だが、それはクロエの魅力のみならずクロエ演じるヒット・ガールが『ジャスエバ』の代表格だからだ。今回ヒット・ガールも次々と現実の問題に直面する。女子高生。スクールカースト。父親。身近な人間が死ぬと言う事。しかしヒット・ガールはそれらに対し、全て圧倒的暴力で対応する。これが彼女の価値観なのだ。それは正しい場合もあるし、あまりよくない方向へ進む場合もある。でもその事について僕たちが安易に非難することは出来ない。


 この映画は倫理的にどうかしている。例えば、友人を裏切ったアスキッカーは、キックアスの父親が死んだことの遠因を作っているのにそれを償わない。ところが、観ている僕は、彼を責める気になれないのだ。その理由は観終わってもわからなかった。

答えを出す前に暴力が襲いかかってくるので考えている暇がない。というか答えは暴力だ。
まともに現実を生きようとしても暴力が襲ってくるので、いま、持ち得る手段だけで対応しなくてはならない。
しかし『ジャスエバ』のキャラ達はこれまで暴力の世界で生きてきた。
それ以外のまともな手段にあまり精通していない。だからアンサーは暴力。


 とても腑に落ちた。彼らを責めるのはあまりに酷だ、とわかった。すごいな。こういう文章を僕は書きたいんだ。