知らないことを調べるブログ

映画の分からないところを調べてまとめる場所にしていきます。

ニクソンは政策の正当性を担保するために日本側の失態を利用したと考えると、とてもしっくりくる。違うかもしんないけど

 ニクソンショックの発生要因について小西克哉さんが話していた。ちょうど気になっていたので驚く。繊維交渉の停滞に対するアメリカ側からのしっぺ返しなんだそう。

荻上: 今回のオバマ氏の来日、小西さんはどう見てますか?

小西: そうですね。いわゆる交渉担当をしている人たちっていうのは、色んな所を考えながらやっていると思うんですね。で、僕おそらく、中にはですね、1970年のいわゆるニクソン佐藤会談のときを思い出している人が多いんじゃないかと思うんです。これは何かというと、国際政治っていうのは、やっぱりいろんな理論とか実践があるんですけど、歴史の教訓っていうのは政策担当者は気にするんですよ。で、つまりそれは何かというと、その70年のときには、ニクソンが繊維交渉をやってるわけですよ。で、一方では、沖縄返還の問題があるんです。つまりこれは、いわゆるセキュリティと経済の問題が非常に綿密にリンクした首脳会談で、結構こういうのって要所要所で何回もあるんですけど、まさに同じことが今起きているんですね。

荻上: つまりトレードオフになるような仕方で。

小西: で、それがどうしたかというと結局は、アメリカ側は、ニクソンは、伝えられるところによるとですね、沖縄でね、「いわゆる返還に応じるから、繊維でよろしくね」と言ったといわれているわけです。で、佐藤さんは何と言ったかというと、「善処します」と言ったんですよ。これは有名な話なんですけれども。で、その善処するっていうのは、ある意味で腹芸で、棚上げするっていうことからいろんな枠があるんだけど、英語に訳したときに、どう訳したかっていうのが外務省が明確になっていないんですけど、オッケーだと思ったんだよね、ニクソンは。

荻上: なるほど。

小西: で、それのあと、裏切られたわけですよ、繊維が。で、その仕返しにニクソンショックがあったという説もあるんだけど。おそらくアメリカサイドのデリゲーションは今ね、それ脳裏にね、非常に焼き付いているんじゃないかな。同じことが起きるかもしれないと。

2014年4月24日(木)「これからの日米関係 小西克哉×神保哲生×白井聡」(ディスカッションモード) - 荻上チキ・Session-22


 陰謀論かと思って、調べてみるとこんな記事をみつける。繊維交渉の密約が頓挫した経過を示す外交文書が2010年に明らかになっている。

 米国が日本に包括的な輸出自主規制を求めた1969年以降の日米繊維交渉をめぐり、当時の佐藤栄作首相とニクソン大統領が同年11月の会談時に年内決着でひそかに大筋合意し、その内容を日本の官僚が当初把握せず交渉が頓挫した経過が26日、開示外交文書などで明らかになった。

 この「密約」履行の遅れが日米関係の険悪化を招き「ニクソン訪中」と金ドル交換停止という2つの「ニクソンショック」につながったとの見方がある。繊維交渉は71年、日本の米提案受諾で決着するが、沖縄への核再持ち込みの秘密合意同様、佐藤氏が繊維でも密室外交を展開、米側の対日不信を増幅させた舞台裏が浮かび上がった。

:日本経済新聞


 特に誤訳がキーになる。佐藤栄作の訪米に同行した石原慎太郎の話が面白い。

鳥飼玖美子氏の「歴史をかえた誤訳 (新潮文庫)」によると、佐藤ニクソン会談は、異文化コミュニケーションの分野ではコミュニケーションの失敗例として名高いそうです。ニクソン大統領が日本の繊維輸出の自主規制を強く求めたのに対し、佐藤首相がどのように答え、どのように通訳されたかについては定説がなく、諸説あるそうです。「訳された外交官の方は秘密を墓場まで持っていかれました」ということになっています。

佐藤総理訪米には、実は当時の石原慎太郎議員が同行しているのですね。石原氏の著書「国家なる幻影〈上〉―わが政治への反回想 (文春文庫)」には、その時のことが記されています。繊維問題が気になった石原氏が佐藤首相に尋ねたところ「ああ、だから、貴方のいうことはわかりますから、ま、努力はしましょうとだけいっておいたよ」ということでした。さらに石原氏が、日本側通訳の赤谷源一氏にどのような通訳をしたか聞いたところ、「赤谷氏はこれまた簡単に答えてくれたが、確か"I understand what you mentioned, so I will make my best effort"とかいったものだった。いずれにせよそれは英語でははっきりYESを意味している印象だった」とのことです。石原氏が佐藤首相に「互いの思惑が行き違って大変なことになるのでは」と進言したところ、佐藤氏は急に不機嫌になったと言うことです。

1969年佐藤・ニクソン会談 - 弁理士の日々


 このとき日本側通訳だった赤谷源一のwikiに、誤訳について書いてある。

1972年1月:アメリカ合衆国における日米首脳会談において佐藤栄作総理に随行。ただしこの際の佐藤の発言の誤訳(「日米繊維交渉は前向きに善処したい。」発言)によって後のニクソンショックが招かれたとする批判がある。[鳥飼久美子著「歴史を変えた誤訳。」「大失言。」]

赤谷源一 - Wikipedia


 ここまで調べると、ニクソンショックの発生要因は日米関係のこじれにあるような印象がある。日本の失態が外国為替市場を混乱させたということ?

f:id:Hokanoko:20140425211220j:plain


 ところが、ちょっと異なる視点をみつける。ニクソンが突然発表した背景には、アメリカの議会を関与させないことで、野党である民主党の攻撃を避ける目的があったという話。

 米国の目標は、「ドルを大幅に切り下げること」にあったのです。米国がどのようにしてそのような事態に追い込まれたかについては改めて述べますが、米国による一方的なドルの切り下げは、米国民にとって深い敗北感を味合わせることになりかねないので、再選を狙うニクソンにとっては、絶対避けなければならないことだったのです。
 金1オンス=35ドル――ドルの金に対する交換比率を変更し例えば「金1オンス=40ドル」のようにして、ドルを切り下げる方法があります。要するに、金価格を上げるわけです。
 しかし、このように金の公定価格を変更する場合は、議会による法改正措置が必要になるのです。公定金価格は金準備法(1934年制定)の定めるところなのです。しかし、このようなものを議会にかければ民主党の攻撃のマトになるだけです。
 また、ドルを切り下げるときは、ブレトン・ウッズ体制のさい決定された「価値維持条項」によって、その分を埋め合わせる追加出資を世界銀行などにする必要があります。しかし、これは予算措置であって、当然議会の承認が不可欠です。
 しかも、そのようなものを議会にかけると、情報が世界を駆けめぐり、世界中でドル売り、金買いの取り付け騒ぎが起こることは確実で、秘密は厳重に守られる必要があったのです。
 為替相場の安定にかかわる諸操作については議会を関与させないようにする必要がある――そのような意図のもとに作られたのが、1934年制定の「金準備法」なのです。この法律の詳細は不明ですが、外国為替安定基金を設けてこれを財務長官の裁量下に置き、為替相場の安定のため必要な金にまつわる操作のすべてを財務長官の裁量に委ねる――そのような法律なのです。
 この金準備法という戦前の法律の存在により、ニクソン大統領は金に関わる操作の権限が集中している財務長官に命ずるかたちで議会にかけることなく、ドルと金を完全に切り離す宣言を行うことができたのです。

Electronic Journal: ニクソンショックとは何か(EJ1816号)


 “米国がどのようにしてそのような事態に追い込まれたか”はこう。

当時の米国は、ベトナム戦争などの影響で財政赤字が拡大すると共に、大幅な輸入超過で貿易赤字が大きく膨らんでいた。また、ドルが米国から大量に流出していき、ドル本位制による金とドルとの交換に応じられない状況に陥りつつあり、さらにドルに対する信任も大きく揺らいでいた。

ニクソンショックとは|金融経済用語集


 わからない用語は、ブレトン・ウッズ体制と金準備法。ブレトン・ウッズ体制を調べるとこうある。固定相場制度と言い換えてもよさそう。

米国と欧州の大国が主導して、1944年に発足した通貨体制。金との交換が保証された米ドルを基軸として、各国の通貨の価値を決める固定相場制度。国際通貨基金(IMF)と世銀は、ドルの力で世界経済の安定や途上国開発を担う組織として活動。71年に金ドル交換は停止されブレトンウッズ体制そのものは終わりを迎えたが、ドルは基軸通貨としての地位を維持し、世界経済での米国の優位性を支えてきた。

ブレトンウッズ体制 とは - コトバンク


 金準備法とは、金の価格の決定と、その停止手続きについて定めたものらしい。

アメリカにおける金とドルの交換の法律的な淵源は1934年金準備法にまでさかのぼらなければならない。そこでは,外国通貨当局から,その保有するドルについての金交換請求があった場合に,アメリカは財務長官の権限でこれに応じうるとされている。そして同法に基づく34年の大統領宣言によって,金1オンスが35ドルと決定されたのである。もとよりアメリカも,国内的には1933年以来金本位制を停止している。名目的に残っていた法定金準備の規定も68年には廃止された。また対外的にも,金準備法では財務長官の判断で全売買をいつでも停止できることとされており,現実に71年8月にこの措置がとられたのであった。

昭和46年 年次世界経済報告 転機に立つブレトンウッズ体制 第2章 揺れ動く国際通貨体制

1934年1月には金平価を1オンス35ドルと旧平価の59%水準に切り下げた金準備法を制定し金本位制から離脱

アメリカ合衆国の経済史 - Wikipedia


 ここまで調べてわかったアメリカ側の考えは、ここまでの引用でまとめると、

・米国の目標は、「ドルを大幅に切り下げること」にあった
・しかし、このようなものを議会にかければ民主党の攻撃のマトになる
・議会にかけると、情報が世界を駆けめぐり、世界中でドル売り、金買いの取り付け騒ぎが起こることは確実で、秘密は厳重に守られる必要があった

という感じ。さらに、これ=ニクソンショックを実際に行うために、

・「いわゆる返還に応じるから、繊維でよろしくね」「善処します」オッケーだと思ったんだよね、ニクソンは。
・裏切られたわけですよ、繊維が。で、その仕返しにニクソンショックがあった
・互いの思惑が行き違って大変なことになる

というストーリーを作った。

 つまり、ニクソンは政策の正当性を担保するために日本側の失態を利用したと考えると、とてもしっくりくる。違うかもしんないけど、都合のよい言い訳を日本がアメリカに与えてしまったということかな。


 小西さんのこの発言が響いてくる。

1970年のいわゆるニクソン佐藤会談のときを思い出している人が多いんじゃないかと思うんです。これは何かというと、国際政治っていうのは、やっぱりいろんな理論とか実践があるんですけど、歴史の教訓っていうのは政策担当者は気にするんですよ。


 歴史って関連付けると面白い。わくわくする。もっといろいろ調べたい! 鳥飼久美子の「歴史を変えた誤訳」が楽しそう。

歴史をかえた誤訳 (新潮文庫)

歴史をかえた誤訳 (新潮文庫)