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知らないことを調べるブログ

映画の分からないところを調べてまとめる場所にしていきます。

他人の精神世界に取り込まれるのと敵が相手によって姿を変えるの「IT」

日記

 スティーブン・キング「IT」読んだ。面白かった。恐怖する登場人物が、嫌なことを思い浮かべたとたん本当にそれが実体を持って現れる描写がふんだんにある。
 
 敵が相手によって姿を変えるってモチーフをよく見る。例えば、エクソシストのハウディ船長、ゴースト・バスターズのマシュマロマン、ゾンビランドのピエロ、三枚のお札の山姥、あるいは物語ではなく普遍的な夢魔とか。

 このうち、エクソシストのハウディ船長、ITのペニーワイズ、ゴースト・バスターズのマシュマロマン、三昧の御札の山姥は似ている。彼らが姿を変えるのは相手へ精神的苦痛を与えるため。攻撃の手段としてやっている。一方、普遍的な夢魔は苦痛ではなく快感を与える。どちらも相手を圧倒させて支配しようとしているので、鏡合わせで同じになると思う。

 その点、ゾンビランドのピエロは、あくまで主人公の乗り越えるべき課題としてあらわれるのでちょっと異質。だってゾンビだから意思がない。確か主人公のモノローグで「あれは僕の課題だ」ってメタ解説が入ったように覚えてる。(どうだっけ。面白い映画だったので今度またみてみよう。)
 
 あ、ゴースト・バスターズのマシュマロマンとホラーゲーム・サイレントヒルは、どうしてお前の考えたアレと対峙しなきゃならないんだ、という点でそっくりだ。ハウディ船長やペニーワイズが個々人に合わせた恐怖を提供していたのに対して、マシュマロマンやサイレントヒルの世界は他人の思い描く恐怖なんだもん。
 
 他人の精神世界に取り込まれる、というモチーフに関連させると、インセプションマトリックスがそうだ。パシフィック・リムにもそういうシーンがあったな。シャイニングもそうか。他にもパプリカとかハルヒとか、挙げだすときりがない。
 
 だってそもそも、一人称の物語をみている観客・読者は他人の精神世界に取り込まれている。羊たちの沈黙で、ナイフを持った殺人鬼バッファロー・ビルがヒロインのクラリスに襲いかかる一人称視点のシーンがどきどきしたことを思い出す。確かこの効果を脚本家の三宅隆太が共犯関係と呼んでいた。
 
 え、ハンニバル・レクターが収監されていた精神病院ってボルチモアなのか! ヘアスプレーの舞台じゃん! ひええ!
 
 僕は、他人の精神世界に取り込まれるのと敵が相手によって姿を変えるのってどちらかというと後者のほうが好みだ。だって前者はノーランみたいなやつが安易に飛びつくんだもん。後者は安物で俗っぽいから好き。
 
 
 ところで、「他人の精神世界」でググると2000年公開のザ・セルという映画がそんな感じのホラー映画らしい。今度みてみよう。

 それから、他人の精神世界に取り込まれる話について、2011年9月24日放送の「宇多丸×町山智浩×高橋ヨシキのバイオレンストーク」でパノラマ島奇談の話が出ていたことを思い出す。相手によって姿を変える話についても、以前町山さんが映画惑星ソラリスをあげていたこともあった。確か映画特電だったと思う。どちらも未見なのでみてみたいなあ。


追記2015/05/24:

 相手によって姿を変える話の中で、僕が一番好きなのは光原伸アウターゾーン8巻第53話「訪問者」だ。単行本には作者による作品解説が載っている。

 誰にでも、子供時代の嫌な思い出があるだろう。この話の主人公のように、大人になっても悩みつづけるかどうかは、その人の性格にもよるだろうが。
 たとえ忘れたつもりになっていても、心のすみでは、過去に自分がした事や、できなかった事、恥をかいた事などの後悔や憤懣が渦巻いているはずだ。

 これはたぶんテーマの話。光原伸はよくあるモチーフを用いながら様々なテーマを描くことができる作家だと思ってる。