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知らないことを調べるブログ

映画の分からないところを調べてまとめる場所にしていきます。

彼はその時点でもう狂っているので知能が低いのだとでも言いたいのだろうか「告白」

 最近みた映画。
 
告白(2010)
リング(1998)
イエスマン “YES”は人生のパスワード(2008)
アダムス・ファミリー(1991)
Gas-s-s-s(1971)


 よくわかんない映画「告白」が本当にすごい。本当にすごすぎて、致死性ガスで若者だけの世界になっちゃうロジャー・コーマン映画「Gas-s-s-s」がイージーライダーっぽいと思ったことや、親離れの話「アダムス・ファミリー」が結構好きだったことなんてどこかへぶっ飛んだ。どういう映画だったのか本当によくわかんなくて(だから本当って何回も言ってる)、困惑してる。この映画はまるで、よくわかんない人たちのよくわかんない映画「ティファニーで朝食を」のよう。「えっこんな人いないよ」って常に思わされる映画だった。
 
 で、「告白 映画 綺麗過ぎ」とググると、こんな文章がみつかる。文中の、綺麗な映像というよりも、綺麗に見せようとして失敗しているださい映像だと思う。
 

とにかく綺麗に、美しく、って撮ってる意図があまり好きじゃない。
生徒の3人も、殺しのシーンも音楽も、全部がキレイすぎた気がしちゃって。
それでリアリティが感じられないんだよね、どこかプロモーションビデオ観てる感覚になっちゃう。
リアリティはいらない、という考え方もあるけど
例えば、少年犯罪をよく扱うハネケの作品だと本当にもう憎たらしいほどフツウのヤツが犯人で、
もちろんもっと重たくてもっと後味が悪い。
中島監督の作風として、これまでの作品も全てポップで映像も美しく撮られていてそれはそれで持ち味で、個性なんだろう。
好みで言えば、その部分で 心理描写に訴えるまでいかず単純に映画として面白かった。という感想。

告白 - 我想一個人映画美的女人blog


 僕が「告白」を嫌いな理由は、「こんな人いないよ」で画面への感心が途切れちゃうから。だって人はそんなに簡単に狂人にならないよ。例えば、死ねっていっぱい書いてる人は狂っていないし、殺人鬼に憧れる人は狂っていないよ。それは普通! ここでヒッチコック「サイコ」ではとか言うと嫌な感じになるのはわかるけど、サイコのラストシーンでノーマン・ベイツにお母さんの姿が重なるところは、「わっ狂人だ」と思ったのに! あれは積み重ねがちゃんとあったからだと思ってる。
 
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 つまり、死ねっていっぱい書いていた人が殺人を犯しましたって展開は飛躍が大き過ぎ、ということを僕は声を大にして言いたい。狂人の心理なんて容易に想像できないんだから。それとも、考えることと行動に移すことのハードルの高さがかけ離れていることは、当たり前ではないの?
 
 劇中に、少年Bが母親を殺すまでの告白がある。そこでは、馬鹿っぽい音楽や「ボヨヨーン」等の効果音が被さり、歯が光ったりする。少年Bの告白は、全体を通しても異様なほど幼稚に描かれている。彼は彼の名誉が傷つけられて、すごい叫んで殺人を犯す――でもそんな人いないよ。それに、少年Bは幼稚で馬鹿なので殺人をしましたという作り手の意図が心底吐き気がする。彼はその時点でもう狂っているので知能が低いのだとでも言いたいのだろうか? 僕は、狂人って、少なくとも、知能が低くなった状態のことではないと思うよ。知能はすぐに変わらない。
 
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 関連して、狂人とされる人が狂ったように笑うシーンは本当に寒いのでやめてほしい。こういうのは結構です。こういう、ティファニーで朝食をとか時計じかけのオレンジとか告白みたいなのは、僕には高尚すぎてわかんない。
 
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 あ、ちなみに、いろんな視点から物語を紡ぐ手法はコロンバイン高校銃乱射事件の映画「エレファント」とかみたいな感じを狙ってるつもりなのかなあって思った。いま、エレファントのwikiで群盲象を評すって言葉を今おぼえたので使う。これ群盲象を評すだよね。あ、桐島もそうか。みんな学園もので出血シーンがある。
 

さらには「群盲象を評す」ということわざもあり、これは複数の盲人が一頭の象を触ってみて、象とは如何なる動物かと語ってみた逸話に基づいている。同じ象であっても、足を触った盲人は「木である」と言い、鼻を触れた盲人は「蛇である」と言った。「論ずる対象が同じであっても、その印象も評価も人それぞれに異なる」という意味であり、また「わずか一部分を取り上げたところで、その事象の全てがわかるわけではない」という意味でもあり、「群盲象を模す」「群盲象を撫づ」ともいう。

エレファント (映画) - Wikipedia


追記(2015/06/28):

 cinemascapeから。同意するレビューを引用。

松は復讐者ではない。加虐趣味の変態である。変態の性行が描かれているにすぎないのだから、これがエンタメとして成り立つのも道理であり、また容易なことである。もちろん、そのような人物が主人公を務めようと別に構わないし、たとえその人物が断罪されなくとも、あるいは肯定的に描かれようとも、そのこと自体に異を唱えるつもりはない。しかしながら「理不尽に我が子を殺される」という、世にこれ以上のものはないだろう悲劇を背負わされた人物をたかが加虐趣味の変態に仕立て上げ、「どう、面白いでしょ?」と恬然としていられる神経の具合を私は怪しむ。

本当にこれが「復讐(者)」の映画であるのならば、こんなにつまらないはずがない。

CinemaScape/Comment: 告白

 そうそう、理不尽に我が子を殺された加虐趣味の変態なんて、使い古されたありきたりのモチーフなんだから、もっと細部を作りこんで描いてほしかったのに。浅いんだよ。ノーランみたい。