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知らないことを調べるブログ

映画の分からないところを調べてまとめる場所にしていきます。

まさかこびとの話の元ネタらしきモチーフが存在したなんて。相当にうれしい「世界の民話 <1> ドイツ・スイス」

 最近読んだ本。
 
世界の民話 <1> ドイツ・スイス(小沢 1976) 
 海外の民話を集めた本の第1巻。ちょっと前に、解説編を読んだ。図書館で借りる。とうとうシリーズに手を付ける。
 
hokanoko.hatenablog.com
 
 
 訳は、ドイツ文学者の小沢俊夫さん。「世界文学の民話」という、ドイツで出版されたシリーズが底本になっている。「はじめに」には全12巻と書かれているけれど、解説編は第25巻だ。だから24巻ある。途中で引き伸ばされたのかな。
 

 この「世界の民話」の底本としたものは、西ドイツのオイゲン・ディーデリヒス社から出版されている「世界文学の民話」(フリードリヒ・フォン・デァ・ライエン、クルト・シャー、フェリックス・カールリンガー共編)という大きなシリーズです。これは第二次大戦以前からありましたが、大戦後、再び新たなシリーズとして、部分的には旧シリーズを受け継ぎながら発足し、今日までに六十冊近い世界最大の民話シリーズとなり、今なお刊行中です。それは文字どおり世界の諸民族の民話を含んでおりますので、私たちの「世界の民話」では、そこに含まれている民族のほとんどすべてから民話を選び出して十二巻にまとめてあります。
p7「はじめに」

 
 
 民話の類似性について、地下水に例えられていてわかりやすい。「はじめに」にある、民話が民族の相互理解のためになるのだという意見は、性善説な理想があって好きだけれど、果たしてどうなのかなという印象がある。たとえば、12世紀に、アーサー王伝説の伝承がヘンリー2世によって利用されたように、誰かがどこかを支配するときに、権威の正当性を政治的に担保するために使われていく側面のほうが、大きいのではないかなと思った。
 
 ただ、僕のこんないじけた発想は、民話を比較して諸民族の共通性を見出すことの面白さの前では、まったく意味がなくなると思う。だって楽しい。
 

 類似の話を比較してみると、話の骨組みは類似していて、その肉付け、色づけは民族によって異なる、ということがだんだんわかってきました。それはつまり、骨組みにおいては共通性が強く、肉付けにおいては民族的特性が強いということになります。
 それは例えば、あちこちの土地で掘った井戸の水が、実は同じ地下水でつながっているというようなことと似ていると思うのです。つまり同じ地下水でつながっているという意味で民話には諸民族の間に共通性があります。しかも、掘った土地の土質やいろいろな要素によってその地下水の味わいが違うのと同じように、それぞれの土地で語り継がれてきた民話には、それぞれの土地柄とか、民族の特質がしみこんでいるのです。
 諸民族の間に類似のものがわかってきたということは、共通でないものもわかってきたということです。そういう共通性のない話には、民族的特色がいっそう強く出ているように思います。それはそれでまた、民族の相互理解のために貴重なものです。そこにはその民族の風俗習慣、自然や神への考え方、人生への考え方が、はっきり現れているからです。
pp2-3「はじめに」

 
hokanoko.hatenablog.com
 
 
 ざっくり読んでみると、ひとつ2~8ページほどの、楽しく読めるおとぎ話たちだった。75話収録されている。ほとんどすべての民話に、恩返しと、因果応報の要素が含まれていた。それから、心のやさしいとされる主人公が、悪人とされる人物に対してはわりと容赦なく制裁を加えるところが面白いなと思う。
 
 物語の終結に、「もしまだ死んでいなければ、生きていることだろう」という句があるのが、ぼんやりした終わり方で好き。巻末の「解説」に、こう書かれている。
 

 昔話はたいていのばあい形が整っていて、語りだしと終わりに一定の句をもつことが多いとされていますが、ここでも、「昔むかし、あるところに」ということばがたいへん多く見うけられます。終結句には語り手自身である「私」が出てくる(二番)ばあいと、「もしまだ死んでいなければ、生きていることだろう」という(当たり前!)ばあいがあることがわかります(二十五、二十六番)。
p338「ドイツ・オーストリア

 
 
 
 そんな感じの本。ここからは、読んでいて、好きだったページをまとめていく。
 
 
 旅人たちが悪魔から謎かけをされる話「蝶むすび」。悪魔が狩人の姿をもってあらわれるのが好き。その姿は、うす気味が悪く、真っ黒で、去り際には硫黄のにおいを残していく。他の民話でもそういう描写が多くある。悪魔についてはそういうイメージがあるのか。
 

 「今すぐ悪魔でもお迎えに来てもらいてぇもんだ」と言った。すると次の瞬間、木々はざわつき始め、うなり始めたので、三人ともうす気味悪くてぞっとしてしまった。するとまったく突然に、まるで土のなかから飛び出したようにひとりの真っ黒な男が三人のまえに現れた。その男は赤い鶏の羽根のついた緑色の帽子をかむっていた。そのなりは確かに狩人のように見えたけれども、決して良い人間でないということは遠くから見てもすぐわかった。
 (中略)
 仕立屋は驚愕から立ち直ってあたりを見回すと、あたりには誰もいなかった。鍛冶屋も粉屋も、悪魔も全然見えなかった。石の粉が山と積んであり、森じゅうが瀝青と硫黄のにおいがしたからそれとわかったが、もしそれがなかったら、すべて夢のなかのことだったと思うところだった。
pp12-14「蝶むすび」

 
 
 高貴な人物が呪いによって姿を変えられている、という変身譚のモチーフが多く登場する。龍に囚われた王女を兵隊が救いに行く「三人の王女」にも、熊になった王子があらわれる。だいたいの場合、変身の呪いは条件をクリアすると解除される。そのとき、「おかげで救われた」と、変身していた人が言う。変身しているあいだ、自我が残っていたんだなと思う。たぶん、心の牢に幽閉されるようなかたちで、自分の悪い行動を制御できない状態にさせられているのでは。そんなふうに思う。
 

 「この近くに熊がいる。この熊は山の出口を知っているんだ。だがおまえはまず動物をたくさんとっておかなくてはいけない。それを次々にその熊の前に投げてやれば、熊はおまえを乗せて山から出て行くよ」。そこで兵隊はこのせむしの小男の言うとおりにして、動物の肉を持って熊に乗った。熊も肉を拾っては食べながら出口へぶらぶら歩いていった。もうじき外へ出られるというところまできたとき、肉がなくなってしまって熊はもう先へ進もうとしなかった。そこで兵隊はナイフを取り出して自分の体の肉を少し切り取って熊の前へ投げた。すると熊はそれにまた飛びついたので、やっと山から出られた。
 外へ出ると熊は兵隊に言った「さあ、お礼におれの首をちょん切ってくれ!」兵隊ははじめのうち、そんなことはできないと言ったが、熊があんまり頼むのでしまいにそのとおり首を切った。するとその瞬間に、目の前に立っていた熊が王子になった。「おまえのおかげで救われた!」と王子は叫んだ。そして兵隊に膏薬をくれた。兵隊はそれを体にぬりたくれと言われた。それで傷はきれいに治ってしまった。
pp20-21「三人の王女」

 
 
 魔女の支配から娘と伯爵が駆け落ちをする話「七羽の鳩」では、この「世界の民話第1巻」で、たぶん唯一、魔女の良心がえがかれる。めずらしい。魔女が娘の母親だからだろうか?
 

 魔女は三百マイル靴をはいて出発した。だがもう手遅れだった。魔女が国境についた時、ちょうどふたりは国境を越えて行ってしまったところだった。
 娘を呼びもどすことができないとわかると、魔女はポケットからくるみの身を取り出して娘に向けて投げた。若い妻がその実を割って開けてみると、なかには黄金が詰まっていた。それはいくら使ってもなくならない黄金だった。そしてそれは娘に対する遺産だったのだ。
p32「七羽の鳩」

 
 
 予言を信じた父親が娘の結婚の妨害を繰り返すも失敗する話「牧童と商人の娘」。牧童があまりにあわれなので、盗賊のおかしらが情けをかけてくれるのが面白い。ドラクエ3カンダタのようだ。盗賊のおかしらという存在が、もうキュートでおかしい。「おまえは気の毒な男だから」って! すばらしい。おかしらは文字を読むことができるから、かつてはきっと名のある有力者だったのだろう。たぶん、商人の裏をかいてやるという企みが楽しかったのだろうな。こういう人は良いなあ。
 

 若者は粉屋夫婦に別れを告げ、商人にもさよならを言って出かけた。そして暗い森を通って行かなければならなかったが、そこには盗賊たちがうようよしていた。そして若者をつかまえて持っていた手紙を奪い取り、親分のところへ連れていった。親分はその手紙を開けて読んだ。それから若者に、この手紙には何が書いてあるか知っているのかとたずねた。若者は頭を横にふった。そこで親分は、この手紙を書いた商人の裏をかいてやろうと考えて、腰をおろして別な手紙を書き、封印をして若者に渡した。親分は商人の筆跡をすっかりまねて書いた。「どれ、手紙を返してやろう。その妻のところへもって行け。おまえは気の毒な男だから、おれは何も手をくださないことにする」
 親分は若者に手下をひとりつけて森の出口まで案内させ、町への道を教えさせた。
p36

 
 
 悪魔との取引をうまく回避する話「老兵と六つの古い真理」。天使の守り神が登場する。悪魔を退治する民話では、誰かを助けたことの恩返しパワーでなんとかする場合と、もうひとつ、信心深い生活のおかげでなんとかなる場合とがあるようだ。これはなんとかなる話。守り神がぼろい格好であらわれるのが面白い。歴戦の老兵なのだろう。
 

 ノックの音は二度、三度と繰り返された。それで百姓は「お入り!」とどなった。ドアーが開いた。入ってきたのはよれよれの服を着た年とった兵隊だった。そして百姓に、どうしてそんなに悲しそうな顔をしてすわっているんだ、とたずねた。「そうよなあ、兵隊さん、まあ聞いてくれ」と百姓は答えた。
pp58-59「老兵と六つの古い真理」

 
 
 出ました! ある貴婦人と老人が対決する話「王さまの花嫁」。これはホラーだ。王様や民衆は人間。しかし、貴婦人と老人はたぶん人間ではない。この小話は3ページたらずしかないのだけれど、この第1巻のなかで、もっとも衝撃を受けた。ラストが不気味すぎるよ。なんだこれは。ラストの部分だけを低い声で子供に読み聞かせれば、きっとおしっこをちびるのではないか。今度甥っ子にやってみよう。少なくとも、たぶん姉はこの話が好きだろう。以下、全文引用。

 昔むかし、あるところにひとりの王がいた。その王はお嫁さんを探していた。だが王が気に入るほどきれいな娘はいなかった。ところがあるときひとりの貴婦人が城のまえの広場を横切っていくのが見えた。王はこの貴婦人が気に入った。そして、きっといつか教会でも会えるだろうと思ったが、教会では一度も見かけたことがなかった。そこで次にその貴婦人が城のまえの大広場を通っていくのを見かけると、王は近寄っていって、自分と結婚する気はないか、とたずねた。貴婦人は、結婚するのはいいのですけれど、ひとつ条件があります。結婚式の三日前から三日後までのあいだ祝宴を続けること、そしてそのあいだ町は閉鎖し、誰も町から出ることも町に入ることも許されない、どの門にも番兵をたててください、と言った。
 王はそれに同意した。そしていよいよ結婚式の三日前に祝宴が始まると、白髪の老人が町の門に来て番兵に町へ入れてくれ、町に大事な用事があるので、といった。番兵長はこれを聞いて、今王の結婚式が行われている、結婚の祝典のあいだは誰も町に入ることも町から出ることもできないのだ、と説明した。白髪の老人はしかしなかなか引っこまず、どうしても町に入らなくてはならない、とても急ぎの用なのだと言って、番兵長にどうか番兵をひとり王たちの食卓に行かせて欲しい、と頼んだ。そして兵隊がこの報告を持って城のなかの祝宴の席に来ると、花嫁が言った「王の御下問だ、神はいつ最大の奇跡をなしとげ給うたか、その老人がこれに答えられたら町に入れてやってもよろしい」
 この番兵が白髪の老人にこの質問を知らせると、老人は言った「神は人間を創り給うたとき、その最大の奇跡をなしとげ給うたのじゃ。世界には何百万人という人間がおる。その人間はみな同じだが、それでいてすぐ互いに見分けることができる」。これを聞いて番兵たちは、これは賢人に違いない。こういう男は町に幸せをもたらすだろう、と思った。
 そして番兵はこの答えを持ってまた王たちの食卓へ行った。すると花嫁は言った「王の御下問だ。神の全能より大きいものは何か、それを老人が知っていたら町へ入れてよろしい」。番兵はまた町の門へもどってこの質問を老人に伝えた。
 すると老人は言った「神のご慈悲がその全能より大きくなかったならば、人間の多くはだめになって破滅してしまったことだろう」
 この答えを持って番兵はまた王の食卓へ行った。だが花嫁はこう言った「王の御下問だ。天国と地獄はどのくらい離れているのか、それを老人が知っていたら町へ入れてやってよろしい」
 番兵がこの質問を持って白髪の老人のところへもどってくると、老人は答えて言った「王さまは自分の右手にすわっている女にお聞きになるのがよいのじゃ。あの女は上の天国にも下の地獄にも行ってきたことがあるのだから、一番よく知っているじゃろう」
 番兵がこの答えを王の食卓に持っていくと、花嫁は窓から外へ飛び出していった。そして門の前にいた白髪の老人も姿を消してしまった。
p96-98「王さまの花嫁」

 
 
 禁忌を犯してしまったために呪われた娘が試練を乗り越えて解放される話「名づけ親」。ラストの意味がわからない。語り手が唐突に物語に関わり、おもしろおかしい雰囲気でうやむやに終わる。どういうことなのだろう? 僕が孫だったら、読み聞かせてくれていたおじいちゃんに「えっ、どういうことなの?」と聞く。興味を持たせるための工夫なのかなあ。わかんない。
 

 若い女主人は三人の子供を抱いて城へ行った。主人は歓喜して妻を再び迎え入れ、妻に、ひどい仕打ちをしたことをわびた。夫婦はそれから盛大な祝宴を開き、わたしの頭にスープをスプーンにいっぱいかぶせ、それからわたしを追い出したのだ。
p262「名づけ親」

 
 
 ところで、僕の好きな不気味な小話で、というかクイズで、こういうものがある。
 

21 名前: ◆knhF0rmC.o :03/01/12 02:49
■問題■
公園の警備員をしていたとき、奇妙なメモを受け取りました。
「○○○○○、池に飛び込む小人に警戒しろよ。」
上の5文字をあててください。


39 名前: ◆knhF0rmC.o :03/01/12 03:03
「よろしいかいけにとびこむこびとにけいかいしろよ」

所謂回文です。
「たけやぶやけた」「しんぶんし」「とまと」みたいなもんです。

 
 なるほどー。という回文。でも、よく考えてみてほしい。池に飛び込む小人とは? そして、池に飛び込む小人に警戒しなければならない状況とは? さらに、そのメモは誰がどんな目的で、警備員である私に渡したのだろう?
 
 考えていくと、おそらくこの問題文でえがかれている世界は、どこか、私達が暮らしている世界とは異なっている。もっと言うと、池に飛び込む小人が、向こうから私達を見ている。こちらがのぞき見をしていたはずなのに。と、怖くなる。それくらい、このなぞなぞは状況設定が奇怪なのだ。どことなく、製作者の悪意がにじみ出ているような不気味さがある。
 
 僕は、こういう話がとても好き。僕がウミガメのスープやクイズを作ったり、小話を考えるときは、こういう、聞き手の不快感を煽るような要素を含ませるようにしている。全員じゃなくても、誰かがぞっとしてくれれば、大変にうれしい。
 
 そんな小人にまつわる話の、たぶん元ネタをこの第1巻でみつけた。それは、邪悪な小人に捕まった娘達がなんとか逃げようとする話「山のこびと」。
 
 共通しているのは、小人が邪悪であること、何かに注意しろよというフレーズが頻出すること、~よろしいというフレーズが頻出すること、池への身投げがあること、語り手の悪意がにじみ出ているような不気味な終わり方であること。オカ板ウミガメ的な価値観でいうと、グロテスクでおぞましい見せ場もある。さらに、うれしいことに、誰かに見られている、という言葉が悪魔に打ち勝つキーワードとして登場していた。これを当てられたのは嬉しい。
 
 まさかこびとの話の元ネタらしきモチーフが存在したなんて。相当にうれしい。今年は良い年になるだろうなあ。もしいつかまたウミガメ関連の人達と出会う機会があれば、ぜひに話して聞かせたい。
 

 父はその答に満足して言った「よろしい、じゃおまえ行っておいで。そしてあさってはチリアが行くといいな。ただ左手へ上る小道へ行かないように注意しろよ。あっちへ行くと山のこびとが出てくるかもしれないからな。出てきたらおしまいなんだぞ」。
 (中略)
 こびとはこの飾りピンをグレータにくれてこう言った「このピンをおまえにやろう、毎日これを飾りにつけていい。だが汚さないように気をつけろよ。汚すとまずいことになるからな」
 (中略)
 こびとは娘に言った「この部屋には絶対に入らないように注意しろよ。もし入るとえらくまずいことになるからな」。
 (中略)
 「山のこびとはこの部屋をのぞいてはいけないと言ったけれど、いったい何が入っているのかしら? 入ってみようっと。わたしがドアーをあけたことなんか、こびとにはわからないわ」。かぎを回すとドアーは開いた。ところが床はあたり一面血の海、いたるところに女の死体が転がっているのでグレータはびっくり仰天してしまった。あんまりびっくりしたので飾りピンが床に落ちて血で汚れてしまった。急いでそれをひろってドアーを閉め、金の玉飾りを洗おうと思って階段を駆け下りた。だがどんなに洗っても、どんなにこすってもだめだった。血は落ちなかった。
 (中略)
 チリアは答えた。「ねえ、言っとくけど、途中で休んじゃだめよ。バルコニーに上がって見てますからね。もし休んでいるのが見えたらそのたんびに『わたし見てるわよ』と叫びますよ。もしも袋を肩からおろしたりしたら、わたしはすぐさま池に身投げしますからね」
 (中略)
 その瞬間、ドブーンという音が聞こえ、チリアの赤い仕事着が水のなかに見えた。それでチリアを救おうと駆け寄ったが足をすべらせて水のなかに落ちてしまった。
 (中略)
 翌日娘たちは両親を連れてギアン・ピッチェンの屋敷へ行った。そこには、いたるところにすばらしいものがあるので、両親は驚いてばかりいた。娘たちは村の娘たちを呼んで踊りの会を開いた。それからというもの、みんなはなに不自由なく幸せに暮らした。では、みなさん、さようなら。
p309「山のこびと」

 
 
 
 第1巻からこの面白さだ。特に、「王さまの花嫁」と「山のこびと」がすばらしい。このシリーズは24巻もある。今年じゅうに読もうと思っている。

世界の民話〈1〉ドイツ・スイス (1976年)

世界の民話〈1〉ドイツ・スイス (1976年)