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知らないことを調べるブログ

映画の分からないところを調べてまとめる場所にしていきます。

かなりゲイにまつわる価値観が反映された映画なのではないか「穴」

 脱獄囚の映画「穴」(1960)をみた。姉と鑑賞。とても楽しかった。これまで見てきた映画のなかでも、描写の丁寧さにかけてはぶっちぎりだと感じた。
 
 あまりの丁寧さに、はじめのうちは姉と笑っていた。だって、穴を掘ったり鍵を壊したり水道管が割れたり、ひとつひとつの出来事を、省略せずに映像でみせられる。「ちょっと丁寧すぎやしないか。まるで介護を受けているようだ」という印象。ところが、物語が進むに連れて、じわじわと、僕らの笑いに緊張感が混じっていくのがわかった。省略されないために説得力が高い。丁寧さって、恐怖感を煽る効果もあるのだなと知った。
 
 そのうえ、ある土壁が崩れるシーンで、やられた。この壁はもしかして崩れるのでは……と、僕と姉が同時に思った瞬間に見事に崩れた。姉と「ヒッチコックが見ている!」と言った(映画の展開とこちらの期待がタイミングよく一致したとき、まるでヒッチコックが僕らの反応をもとに映像をいま用意しているように感じることから、それを僕と姉は「ヒッチコックが見ている」と呼んでいる)。
 
 
 見終わって、この映画はひょっとして、かなりゲイにまつわる価値観が反映された映画なのではないか? と思った。正確に表現するなら、男性間の友情がめちゃくちゃ魅力的(エロティックでさえある)なのに対して、女性がマネキンのようだ。そのマネキン感に人間っぽさがまったく感じられないため、女性から見た視点とは思えなかった。なのでゲイ? と思った。
 
  かつて映画コーナーがあったテレビ番組「ニッポンダンディ」で、2013年7月19日(金)放送の「映画内に散りばめられた意味」という回で、映画監督の園子温がこんなことを言っていたことを思い出す。引用。
 

 象徴する意味っていうのはさ、一人の作者が作って、それを完全に完コピしたからといって、それが乗り移るかというと全然乗り移らない。だから、「サイコ」はガス・ヴァン・サントが同じようにカット割りまできちっと撮れば全くそれが乗り移るんじゃないかと思って撮ったんだけど、要は結局は乗り移らなかったっていうね。
 ものすごくあれなんですよ。要は、その、映像っていうのはやっぱり呪術的なものがあって、ただ撮れば、絵コンテ描いたものをそのまま撮るとみんな同じ素晴らしい名画ができるわけじゃなくて、やっぱりそこにヒッチコックなりのコンプレックスとか、妄想とか、やっぱりあの人太ってて見苦しい体してるから、ああいう綺麗な女にもてたいな、ちくしょうもてないからぶっ殺してやろうかとか、いろんな怨念があったりもするのが、それがこびりついているわけで。だからガス・ヴァン・サントみたいにゲイがね、シャワールームで女を刺そうとしても。男を刺したらもっとねえ。
  だから、そういうことじゃないんです。同じ構図を真似しても描写の意味は伝わらないんです。

 
 
 で、調べたら制作のセルジュ・シルベルマンという男性が同性愛者だった。てっきり監督がゲイだと思った。制作ってプロデューサーだよな。プロデューサーって、映画にどのくらいの影響を与えるのだろう? プロデューサーが各方面から振り回される映画「トラブル・イン・ハリウッド」では、プロデューサーの個性はそんなに影響を与えていなかった。うーん。
 
 
 さっきからゲイゲイゲイゲイ連呼しているけれど、ふと、ひょっとするといま僕はPC的に問題のある発言・思考をしているのではと思った。作品が特徴的なのは作った人がゲイだからだ。とはいかがか。いや、そんなことは言っていないぞ。
 
 ゲイが作ったらこうなる、という、ゲイを十把一絡げに扱う考えは良くないな。と思う。どうやら僕はそんなことは言っていないな。僕が言ったのは、男性間の友情がめちゃくちゃ魅力的(エロティックでさえある)なのに対して、女性がマネキンのようだ。そのマネキン感に人間っぽさがまったく感じられないため、女性から見た視点とは思えなかった。なのでゲイ? と思った。と言った。
 
 つまり、視点の持ち主が異性愛者ではなく同性愛者だよね。と言った。でも普通に考えれば、たくさんの人々が関わる映画製作で、同性愛を公言している人がスタッフに一人居たところで何も珍しいことではないよな。うーん、このあたりでやめておこう
 
 
 
 
 違う話題。自分の過去のはてなブックマークを見返していた。この動画をブクマしていた。ブクマした理由はたぶん、民族音楽っぽい曲だからだと思う。作曲菅野よう子。良い曲だなあ。絵柄も好きだ(高田裕三の3×3 EYESみたいだ(その理由はおでこのポッチだ))。
 
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 このクロエという曲は、2001年放送のテレビアニメ「地球少女アルジュナ」の挿入歌らしい。FF5のはるかなる故郷:Dear friendsを、田中宏和とのさまガエルの伴奏で歌っているような雰囲気だ。違うかな。zabadakの街角・影法師にも似ている。
 
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 で、「地球少女アルジュナ」なんだけど、wikipediaにこう書かれている。
 

もう1つの大きなテーマは、人の言葉と思考・感情と行動の不一致や不自由さ、伝わりにくさとされている。相手の心が、たとえ文字となって読めても、相手の真意はまったく読めていなかった、というような展開が少ない話数の中で繰り返される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8A

 
 それは大好物です。見よう。ロッキーとか英国王のスピーチとかアンドリューとか、自分の気持ちを相手に伝えることが得意ではない人物が登場する物語が好きだ。そういう系譜なのかなと勝手に期待している。